待望久しい、三池平古墳の復元工事完成を記念し、地域の皆さんへの記念講演会と見学会が開催されました。
この古墳は、静清平野と折戸湾、三保半島を見下ろす高台、清水ナショナルトレーニングセンターの入り口右手に位置しています。
古墳の主は、日本書紀にも登場する「廬原(イオハラ)の君臣(キミオミ)」(663年、百済を助けるために『白村江の戦い』に向かった倭国援軍の将軍)の何代か前の国造(クニノミヤツコ=地方を治める豪族・王)であろう、と推測されています。
そもそも「廬原氏」は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と共に東征した吉備武彦の子、意加部彦(オカベヒコ)が初代とされ、「廬原公系譜」によると9代目の『臣足』が「天智2年救百済」と注記されています。
この地域には、清水インターチェンジ北側に午王堂山(ゴウドウヤマ)古墳があり、JAしみず本部のバイパスを挟んだ向側に神明山古墳があり、どれも代々の「廬原の君」の古墳群であるとされ、出土品などから「廬原氏」は大和朝廷や皇室と相当近い姻戚関係があったとみられています。
富士川から大井川に亘る広大な地方国家だったといわれる「廬原国」。
静岡市は、平成28年頃に向けて歴史文化施設を整備しようと計画しています。弥生時代の「登呂遺跡」から江戸時代の「徳川家康」に飛んでしまわないように、この古墳時代(3~7世紀頃)の歴史的重要性を多くの市民に認識してもらい、市の歴史の1ページとして展示項目にぜひとも入れてもらいたいものです。