『日本書紀』によると、大化の改新を進めていた中大兄皇子(後の天智天皇)は、西暦663年、滅亡した百済の復興を目指して、唐・新羅連合軍に立ち向かった。いわゆる「白村江の戦い」である。
大敗に終わるこの戦いに倭国はなぜ大軍を派遣したのか?
百済とは倭国にとってどのような存在だったのか?
しかもその援軍の将が「廬原君臣(イホハラノキミオミ)」であるという。一体当時の大和朝廷と「廬原国(イホハラノクニ=現在の静岡市を中心とした静岡県中部地域)」との関係はどのような繋がりがあったのか?
調査結果は私の議員活動ブログ「100127 市の歴史文化施設 基本構想への提言書」をご覧ください。